大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和53年(ラ)43号 決定 1978年7月31日

抗告人

静岡県

右代表者知事

山本敬三郎

右訴訟代理人

御宿和男

外一名

相手方

山崎修一

右法定代理人親権者

山崎忠雄

相手方

山崎忠雄

右両名訴訟代理人

藤森克美

外四名

主文

原決定中文書の提出を命じた部分を取り消す。

右部分に関する相手方らの本件申立てを却下する。

理由

抗告人は、主文と同旨の裁判を求め、その理由とするところは、別紙「抗告理由書」記載のとおりである。

おもうに、文書提出義務は、文書を証拠方法として利用することにより、適正な事実認定を可能ならしめ、訴訟における真実発見に資するため、国民に認められた裁判に協力すべき義務の一つである。しかし、それが、証人義務のように、文書の所持者一般に対してではなく、民訴法三一二条各号所定の文書に限り、所定の所持者に対してのみ認められていろのは、記載内容の不可分な文書にあつては、要証事実と無関係な部分まで公開されることになるばかりでなく、文書所持者が文書それ自体ないしは文書の記載内容について有する権利・利益を保護せんとする法意に出たものである。したがつて、当該文書が同条各号所定の文書に該当するかどうかを判断するに当つては、単にそれが訴訟における真実発見のために必要であるかどうかということではなく、それを公開することにより、前叙のごとき文書所持者の権利・利益が犠牲にされることについて、合理的理由を見い出すことができるかどうかということによつて決定すべきである。

いま、かかる観点から、本件係争文書が同条三号前段所定の「挙証者ノ利益ノ為ニ」作成された文書であるかどうかを検討するのに、本件係争文書は、抗告人の管理する養心荘の医師が、同病院に措置入院させられ、「ナイト・ホスピタル」(昼間外勤作業)の療法を受けていた精神障害者・大坪憲夫につき、職務上作成した診療録(看護記録、各種検査表、インタビユー記録を含む。)及びその添付資料一切であり、右大坪によつて殺害された山崎広子の相続人たる相手方らが、国家賠償法一条の規定に基づき、抗告人に対して提起した損害賠償訴訟において前記療法を実施していた医師の過失を立証するため、所持者たる抗告人にその提出を求めているものである。ところで、精神障害者の診療録には、患者の病名、病状、治療方法(処方、処置)等(医師法施行規則二三条参照)のほか、主たる近親者の精神病歴、異常事態の生起とその状況等が数代に遡つて不可分的に記載されていることは、みやすいところである。しかして、医師法二四条が医師に対して診療録の作成と五年間の保存を義務付けているのは、かくすることによつて医師の患者に対する適正な治療を担保させるという行政目的に出たものであるが、かかる目的から作成された診療録であつても、単なる医師の診療過程の記録としての内部的文書にとどまるものではなく、患者にとつても、診療契約の履行又は行政強制の適否を判断したり、各種手当、年金等を請求するための重要な資料となり得るものである。したがつて、診療録は、当該診療契約や行政強制の当事者たる医師、都道府県知事、患者又はそれらの者と実質的利害関係を有する者にとつては、後日の証拠のために又は権利義務を発生させるために作成されたものとして、ここにいう「挙証者ノ利益ノ為ニ」作成された文書に該当することは否定できないであろう。しかし、相手方らは、大坪憲夫本人でないのはもとより、同人に対する措置入院なる行政強制とその執行の衝に当つた者でもなければ、これらの者と実質的利害関係を有する者でもなく、ただ、大坪憲夫によつて殺害された山崎広子の相続人として提起した前記訴訟における真実発見のために本件係争文書の利用を希求しているにすぎない者であり、かかる者に対してまで右のごとき記載事項を内容とする大坪憲夫の診療録を公開することは、法が刑罰の裏付けをもつて保護している患者の秘密(刑法一三四条、精神衛生法五〇条の二参照)を侵害し、ひいてはまた、医療の基本たる患者の医師に対する信頼感を失わしめることとなる結果について、それを容認せしめるに足るだけの合理的理由を見い出し得ないので、本件係争文書は、すべて、ここにいう「挙証者ノ利益ノ為ニ」作成された文書に該当しないものというべきである。

また、本件係争文書が同条三号後段所定の「挙証者ト文書所持者トノ間ノ法律関係ニ付」作成されたものでもないことは、前叙説示によつて自ら明らかである。

よつて、右と結論を異にする原決定部分を取り消し、右部分に関する相手方らの本件申立てを却下することとし、主文のとおり決定する。

(渡部吉隆 浅香恒久 中田昭孝)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例